日本の廃山

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重要文化財 志免竪坑櫓を思う。  


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国鉄志免竪坑櫓といえば、重要文化財にも指定されている竪坑櫓である。

国鉄志免竪坑の建設に関しての経緯を探る
(私が記していた旧ブログ)

上記URLは私が元より執筆していたブログであるが、大まかなものはこちらから確認して頂きたい。今回はこれら文中で使用されたエピソードを再編し、より分かり易くしたものである。
まず、国鉄志免竪坑櫓がなぜここまで注目されるのか。それは国内に現存する竪坑櫓では珍しい「タワーマシン」の構造である事に起因する。タワーマシンとは巻上機(動力滑車)が塔の内部、立坑穴の直上に設置されたもので別名「塔上ケーペ式」や「塔櫓捲式」とも呼ばれる。当時の業界紙ではタワーマシンとして紹介され、塔櫓捲式という名称はあまり使用される事は無い。これら竪坑櫓のシステムの違いについて纏めた記事もあるので、分からない方はそちらを参考にして頂ければ幸いである。

立坑櫓の分類について
上記記事にタワーマシンとは何かについて詳らかに掲載してある。

さて、この国鉄志免竪坑櫓の設計者は当時の志免砿業所の工事部に在籍していた大石氏によるものであり。製図は宮原氏が担当した竪坑櫓である。どういう訳か、竪坑櫓の設計者の話になると志免砿業所の坑長である猪股 昇(いのまたのぼる)の名前が出てくるが、猪股氏はあくまでも総論として鉱業会誌発表用の原稿を書きあげたというだけであり。逆に大石氏の志免竪坑櫓建設計画に無理難題を求めていた人物であるという事は念頭に置いて頂きたい。
まず、大まかな歴史から述べることにする。国鉄志免竪坑櫓は第二次世界大戦による石炭増産が叫ばれた前後に海軍省の志免砿業所の深部化に際しての打開策として立案された竪坑櫓である。この頃、日本国内の竪坑櫓はR型櫓が基本であり、志免竪坑完成前に建設された大規模竪坑としては三菱勝田竪坑などが有名である。三菱勝田竪坑は1550㏋の大容量イルグナ式巻上機を搭載し、国内巻上機としては三井四山第一竪坑の巻上機を上回る規模のものであった。また三菱勝田竪坑は東条英機首相が戦時中に訪問し、ケージに乗車して地下まで降り切羽まで激励に行ったという歴史を持つ竪坑である。
そのような状況下に於いては志免竪坑も当時の海軍省として不格好な物を導入する訳にはいかない。ただ、志免砿業所の用地は非常に狭隘で、丘の上に砿業所が立ち並んでいた。


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1956年の志免砿業所航空写真。

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赤丸が志免竪坑櫓である。

一見、用地が無いようには見えないが前述の通りに小高い丘の上に建てられた砿業所であることから、選炭場もその付近であり。竪坑と既存の選炭場を離れた場所に設置すると運搬などのコストや諸問題が発生する為に避けられる傾向にあった。また、グランドマシンと呼ばれる巻上機を地上に設置するタイプの竪坑櫓は基礎整備や付帯設備建設のランニングコストがかかる為に、安くて早くて安心などこかの水道屋さんのキャッチフレーズのように手軽なタワーマシンが選択された訳である。

運輸省志免砿業所下層炭開発計画に就いて
(J-Stage 日本鉱業会誌論文 志免竪坑については5ページ辺りから話が始まる。)

そこで考えられたのが、タワーマシンはタワーマシンでも当時の東洋一として名を馳せた『満州国 撫順炭礦の龍鳳東竪坑櫓』の国産版を本土にも建設するという大計画であった。

龍鳳炭鉱
龍鳳東竪坑櫓

この竪坑は機材の一切をドイツから輸入し、中国(当時の日本占領下の満州)に建設された東洋一とも称されるタワーマシン型の竪坑櫓である。当時の海軍省は龍鳳東竪坑櫓をベースに純国産の機械や技術で同じものを福岡県の志免砿業所に製作することを目的とした計画を立案し、技術陣の形成を図っていった。ここで満州国から設計者として招喚されたのが後の志免砿業所の副坑長に就任した大石氏である。大石氏は龍鳳東竪坑櫓の建設の際に現場で建設指揮を執っていた男で、志免竪坑櫓の建設に於いても尽力してくれるだろうと当時の海軍省からも信任を得て志免砿業所まで赴任してきた。赴任当時は志免砿業所工事部設計課に在籍し、その際に龍鳳東竪坑櫓の図面をコピーして国内へ持ってきた。
大石氏はまず龍鳳東竪坑櫓のメリットとデメリットについて纏めた。抑々、龍鳳東竪坑櫓がタワーマシンを採用した理由は非常に簡単で、「夜間の急激な気温変化による竪坑設備の凍結を防止する為、竪坑櫓の側を覆うことが可能なタワーマシンにした。」これだけの話である。つまり、土地も十分に存在した上に竪坑深度も地下-770mまで延びている龍鳳東竪坑にタワーマシンはオーバースペックだったと言わざるを得ない形である。志免砿業所の場合は竪坑深度が地下-430mだったことからケーペ式が賞用できる-500mに今一歩届かない深度であった事から安全性を考慮した結果でタワーマシンの採用に踏み切った一面もある。
以下、龍鳳東竪坑櫓のメリットとデメリットである。

・メリット
竪坑櫓が覆われている為に竪坑櫓内の寒暖差が緩く、夜間凍結によるメインロープのスリップを発生させない。
風雨から守られる為、竪坑設備の劣化が遅い。
 
・デメリット
櫓が覆われている為に入気立坑としての空気流動量は落ちる。
入気立坑として地下に入る空気量が少ない為に、ケージが上下すると地下からの炭塵逆風が発生する。
複式として設計したにも関わらず、当初は片方のケーペプーリーとガイドシーブしか納入されず。更新工事に竪坑を操業停止した上に大規模な工事を必要とした。


以上が龍鳳東竪坑の簡単なメリットとデメリットである。
大石氏は龍鳳東竪坑の建設から稼働に至るまで問題を眺めてきた男である。それらを本邦の志免砿業所の設計に生かすにはどうしたら良いものか考えた訳である。まずはタワーマシンにするとしても材質の問題が発生する。そこで大石氏は鉄骨タワーマシン構造である龍鳳東竪坑の「ケーペプーリー稼働による櫓の横揺れ」の脆弱性を考えた。これは鉄骨櫓特有の問題で、塔の上部に重量物が搭載されている場合、どうしても振動の分散が問題になる。特に龍鳳東竪坑は側が覆われた竪坑櫓であった為に、軋みによる問題は多々存在したという事であった。また鉄を多く必要とする戦時中において、竪坑一つに多くの鉄は確保できない。鉄削減とそれらを防止する為に鉄骨櫓での設計を見直し、鉄筋コンクリートによる構造に変更するとした意図を坑長である猪股昇に伝え受理された。これにより志免竪坑は鉄筋コンクリート造りのタワーマシンでの設計とすることが決定した訳である。この際に大石氏は同じ九州に存在したタワーマシンである三井四山第一竪坑櫓を視察に行っている。

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三井四山第一竪坑櫓のタワーマシン。

このタワーマシンは某外国のタワーマシンの図面を改良し、国産型タワーマシンとして大正時代に製作したものである。比較的近年まで残されていたが、この竪坑櫓の解体は非常に惜しいものであった。巻上機は東京芝浦電気製で、この巻上機の完成を機に同社では鉱山用竪坑機械の生産を多く手掛けるようになった。
大石氏が設計を進める上で、もう一つ問題となったのが竪坑内に何列の運搬設備を設置するかという事であった。通常の運搬設備であれば単式が2列、複式が4列である。

スクリーンショット (318)
単式設備の立坑断面。四角の枠がケージやスキップなどの運搬設備である。

スクリーンショット (411)
複式設備の立坑断面。4列ある事が見て取れる。

このように単式設備というのは運搬設備が2つの立坑櫓、複式設備というのは運搬設備が4つの立坑櫓を示す。龍鳳東竪坑は最初は2列での製作とし、必要であれば4列にすることも可能とした造りだったのである。これらは龍鳳東竪坑の論文の末尾の方で触れられているので各自で確認して頂きたい。

撫順炭礦龍鳳大竪坑計画書
(J-Stage 日本鉱業会誌No.596 論文)

つまり、龍鳳東竪坑櫓は大石氏が在籍していた頃には「未完成」であり。本当の完成は複式設備になってからであった。これら諸問題を熟考した大石氏は志免竪坑では土地が狭隘でケージ4列を敷く用地は存在しないとして、単式設備での建設を念頭に話を進めていた。
次の問題は前述のデメリットに記載したケージが上下する事による炭塵逆風の防止である。炭塵逆風はどの竪坑櫓でも存在した問題であり、排気設備が整った竪坑であれば空気は竪坑入口から地下に向かって強制的に吸い込まれるが、この時代の排気設備はシロッコファンや大型扇風機などによる弱小設備に留まっていた上に龍鳳東竪坑は側が蓋をされているような竪坑櫓である。入気量が低いことは火を見るよりも明らかなことである。その為に龍鳳東竪坑では炭塵逆風が発生した他、櫓が覆われている事によって炭塵が塔内に滞留して蓄積したことも相まって落雷などの災害時には竪坑ごと吹き飛ばす巨大地雷へと変貌していたのである。俗に言う炭塵爆発による問題が龍鳳東竪坑では浮き彫りになっていた。これらを志免竪坑で発生させた場合、海軍の威信も増産もあったものでは無い。大石氏はこれらを回避する為に猪股坑長を説得にかかり、外国で実際に存在した竪坑の炭塵爆発の例を元に説明を行って志免竪坑の設計を下部吹き抜けの自然入気式とした他に炭塵滞留を防止する構造へと設計を変更したのである。

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志免竪坑の脚部がこのような構造になっているのは上記による問題を回避する為である。


ここまで順調な運びを見せた志免竪坑であったが、櫓の建設も順調に進まった辺りで猪股坑長から改良についての提言を受けた。それが複式設備に改造できるような設計にしておけという旨だった。複式設備にするという事は、同じ塔の中にケーペプーリーとガイドシーブが2つずつ計4基を設置することであり。志免竪坑の設計に大きな変化を齎す事になる。

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私物の志免竪坑における塔上の図面。

つまりは、このケーペプーリーとガイドシーブを横に将来的にはもう1つずつ設置して複式設備できるようにしろという提言だったわけである。これは龍鳳東竪坑の改造時にも問題となったが、複式設備にすることによって竪坑のガイドの調整や付帯設備の工事がより大規模になる。そして何より、この時点で志免竪坑は櫓の中間部分まで建設されており今からの設計変更には不可能を来すことになる。ここで大石氏は猪股坑長と議論を重ね今から計画を変える事は不可能であると抗議をしたが、「海軍が建設する志免の竪坑櫓が他の櫓に見劣りするようでは許されない。」と猪股坑長は主張し。竪坑櫓を建設途中から設計変更する事を余儀なくされた訳である。
無理難題を押し付けられた大石氏は志免砿業所を眺め、操作場が狭隘な場所であることから将来の増設工事に於いてもケージによる操作場を有した計画が実行されることは無いだろうと感じ、スキップによる第二期工事なら行えるかもしれない。そう考えた訳である。そこで大石氏は同じ九州の住友忠隈炭鉱に足を運び1坑スキップ斜坑を眺めてシステムを再認識し、志免竪坑の第二期工事における複式設備化の際までには巻上機の小型化が実現できるだろうとしてスキップ巻による設計とした事で猪股坑長の認可をもらう事ができた。その為、志免竪坑の塔上巻室の未成部分は空間がやや狭くとられているのである。ただ、本来であればスキップ巻はケージ巻よりも重くなる傾向がある事から小型化は避けられる傾向にあったはずである。これら計画が実行されることなく志免砿業所は閉山してしまった為に、将来の複式工事がどう挙行される予定だったのかは一切分からない。ただ、私のような竪坑マニアにはたまらないイベントになっていた事だろうと思われる。

こうして志免竪坑は技術者たちの尽力によって完成し、炭鉱が閉山するまでケーペプーリーは回り続けた。




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これらの資料や証言は大石氏が副坑長を務めた昭和30年の末、当砿業所を訪れた住友奔別中央立坑の設計者が残した日記に記載されていた事をそのまま書きだしたものである。立坑櫓を造るには別の竪坑櫓を見て学ぶ必要がある。このように北海道と九州という遠く離れた場所で、技術者たちが手を取り合い設計についての彼是を語り明かしたエピソードは実に熱いものである。
私が持っている志免竪坑の設計図は住友奔別中央立坑櫓と志免竪坑櫓の2人の設計者が所々にメモを残しながら語り合った時のものである。残念ながら、この時の奔別中央立坑櫓の設計者の日記はその親族によって処分されてしまったが、立坑櫓建設の歴史が動いた1ページの証人として私は語り継ぎたいものである。九州の志免竪坑櫓と北海道の住友奔別中央立坑櫓は形こそ違えど、熱き設計者たちが言葉を交わし石炭産業の深部化を解決する為に設計者の意思というバトンを受け継いだ新時代の嚆矢とも言える立坑櫓なのである。

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