日本の廃山

日本各地の炭鉱・鉱山について記したい

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北炭幾春別炭鉱 緑坑の斜坑群について part2  


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意外と知られていない炭鉱、北炭幾春別炭鉱。そもそも、この幾春別炭鉱が北炭という夕張を代表する大企業が採炭を行っていたという事も案外知られていなかったりするが、錦竪坑の存在がやはり大きいのだろう。

ここで周辺の状況を確認しておきたい。

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1966年の幾春別の航空写真である。

北炭幾春別炭鉱の閉山から約10年が経過し、周囲の状況は大きく変化している。

MHO662X-C3-27 (1) - コピー - コピー
当時の施設を組合せるとこのような感じになる。

青線は北炭幾春別炭鉱の専用軌道があったんじゃないかなーと私なりに考えた経路図である。選炭場から出発した専用軌道は橋梁を2ヶ所渡り、幾春別川の対岸へと渡る。そして錦竪坑の通洞を直前にして分岐が始まり、直進すると錦竪坑。右折すると青葉坑や緑坑の斜坑群へと続く築堤が現れ、その嚆矢として幾春別森林鉄道と立体交差を行っていたのではないかと私は推測する。

DSCF3123.jpg
航空写真の黄色い〇の辺りにある幾春別森林鉄道の立体交差部分。恐らく専用軌道はこの下を潜って緑坑や青葉坑へと続いていたに違いない。


ちなみに、鉱区図を当て嵌めるとこのような感じになる。

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各坑の鉱区図はこんな感じかなぁと。緑坑が末端に存在し、錦坑と緑坑の間に青葉坑が存在すると言った形になっていたはずなので、大まかにはこれであっているんだろうと思う。

MHO662X-C3-27 (2) - コピー - コピー - コピー - コピー
先ほど発見した緑坑の斜坑2本はこのように存在していることから、残りの緑新斜坑と青葉本卸斜坑と副卸斜坑は?部分のどこかに存在することになる。年代として分けるならば、青葉坑の斜坑は戦前から存在するものであることからして煉瓦造りの斜坑(とは言え緑斜坑で幻想が打ち砕かれた)可能性が高いと見て良いだろう。緑新斜坑は幾春別炭鉱の晩年に造られたものである事からコンクリート造りの斜坑でほぼ確定である。



DSCF2998.jpg
緑斜坑から順当に歩いて行くと擁壁が現れた。

この擁壁は遠くから見ると一部が山側に向かって反れるように形成されており、この擁壁は事実上の分岐を意味するものであると私は考えた。また、謎のアンダーパスも存在し、ここより山側に「何かがある」と確信を得た訳であるが・・・。




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熊笹が酷すぎる

熊笹を掻き分け、着雪に湿るズボンと上着に不快感を得ながらも取りあえず進む。





・・・ん?待て? 熊笹の奥に何か見えないか!?





DSCF3046.jpg
よっしゃああああああああああ!!!

あった!あったぞ!!!

何の斜坑か分からないけど、何かあった!!!




DSCF3040.jpg
コンクリートの坑口を有しているが、その先で斜坑は潰されたのか自然崩壊なのかは分からないが消滅している。ただ、ラッパ状の坑口は紛れもなく当時の斜坑で見られる様式に違いない。付近は湧水によって水没し、長靴でもそれなりに丈のある物でなければ浸水するぐらいの深度である。
そういえば、浸水と言えば先ほどの擁壁の先にも謎の池が存在した。



DSCF3017.jpg

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この池の直前までがコンクリートによって擁壁と築堤で形成されている。

まさか、この池の下に・・・。斜坑があるのか???いや、あるんだろうなぁ・・・。




この後も付近を歩い程度捜索したが、斜坑は錦坑の1号坑道と連絡通洞2本程度しか発見することが出来なかった。今回のラッパ状の坑口の発見こそ、個人的に一番大きな収穫となったことは間違いない。ただ、この斜坑と水没した斜坑が一体何の斜坑なのかが分からない。
家に帰り、北炭幾春別炭鉱についての文献を再び漁った。鉱区図こそないものの、採炭法と通気や排水系統を探していたところある文章が出てきた。以下、北炭幾春別炭鉱についての紹介文である。

『排水法。水準以下の湧水は全部坑道下の下水にて流出せしめ、水準以下なる緑坑は錦坑に落下せしめ、錦竪坑によりタービンにより排出す。青葉坑に於いては個別に排水タービンを設置し排水を行う。』

以上の事から2つのことが分かる。

・排水系統では緑坑は錦坑の坑底に流し込み、竪坑により排水。つまりは緑坑と錦坑は連絡坑道で繋がっており、青葉坑とは排水系統が別である。
・青葉坑は排水系統が単独であり、個別で排水を行っていた。


ここで今現在の錦通洞を思い出して頂きたい。

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硫黄分を含んだ湧水が流れ出す錦通洞。つまり、この水は錦坑だけでなく緑坑からの湧水が含まれているという事であり、青葉坑の排水は青葉坑単体で行っているという事である。


DSCF3046.jpg

DSCF3015.jpg
湧水で溢れる斜坑2本。

もうお気づきだろうか。この斜坑は北炭幾春別炭鉱の青葉坑の本卸と副卸なのである。独自の排水系統によって形成され、地下で連絡坑道が造られなかった青葉坑は閉山後の排水について考慮されていなかったことにより湧水が今でも湧き出してくる斜坑となっていたのである。恐らく坑口が現存するものが本卸斜坑、水没したものが副卸斜坑で違いない。
副卸斜坑は専用軌道にほぼ直通できる形で位置しているのに対し、本卸斜坑は一度スイッチバックを行って入坑するようにされていたようである。ちなみに、青葉坑の排気システムには直径四尺のチャンピオンと四尺六寸のシロッコファンによって排気がなされていたらしいので、実際はこの他にも少なくとも1つは斜坑があると見て間違いないだろう。副卸か本卸かが排気斜坑になっていたとしても、2台を同じ場所に設置するとは考えられないからである。

こうしてあまりにも適当すぎる調査が終わったが、その中でも緑新斜坑という北炭幾春別炭鉱の晩年に新設された斜坑を発見できなかったのが何とも悔しい。今はもう雪に埋もれている頃だと思うが、何かの機会があれば是非とも再調査に踏み切りたい所存である。



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