日本の廃山

日本各地の炭鉱・鉱山について記したい

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三井鉱山 田川鉱業所 伊加利立坑についての彼是  




伊加利立坑の名を炭鉱マニアの中では知らない者は居ないだろう。

この立坑は日本初のH型立坑という、

日本と言う国に於いてH型立坑と言うものが使用される

原点になった立坑櫓である。

伊加利立坑が稼働し始めたのは昭和30年12月11日のこと。

三井田川鉱業所の伊加利という場所に誕生した立坑は

すぐに稼働したものの、しっかりとした実力を発揮するに至らず

昭和39年3月に三井田川鉱業所が閉山するに至っている。


閉山後は解体され、スクラップとなる・・・はずだった。

しかしながら、解体は阻止され同三井炭鉱の港沖四山の立坑として

再始動することとなったのだ。


その周辺の事情に関しては馬場明子さんが執筆した著書である

「筑豊 伊加利立坑物語」という本に詳しく書かれているので

本文では省かせて頂く。

伊加利立坑物語という本は伊加利だけでなく

山野立坑などを建設した方へのインタビューなども含まれており

炭鉱マニア、特に立坑マニアであれば必読の一冊である。


さて。今回取り上げる伊加利立坑であるが、

写真や資料も少なく今現在インターネットに上がっている資料も

曖昧で何とも言えない状態のものが殆どである。

私は、北海道で立坑櫓の研究をしていることもあって

ごく稀にではあるものの、

九州の立坑櫓の資料が出に入ることがある。

その中に伊加利立坑についての彼是に記された資料や手記などを

手にすることがあった。

本文の伊加利立坑の性能は情報の齟齬を防ぐため

伊加利立坑について述べられている手記などの記述から情報を取り出すことにした。







伊加利立坑
インターネット上で見ることができた伊加利立坑の写真







さて、基本的な性能などについて記載することにする。


三井砿業伊加利立坑は人員・炭車・ズリ・入気が目的の運搬立坑である。

ボーリング着手 昭和22年8月

開鑿着手 昭和25年6月

竣工 昭和30年11月

開鑿より5年5ヶ月を要した。




立坑の性能について


一本索単式H型 鉄骨構造立坑櫓

鉄骨重量 約300t

全長 52m

ヘッドシーブ直径 7.5m

立坑深度 658.275m

サンプ深さ 36.108m

立坑全体深度(立坑坑口より) 694.383m

立坑直径 8.2m

立坑直径(コンクリート外縁仕上げ後) 7m

立坑ガイド 40mmロープ

運搬設備 4段ケージ×2

ケージ自重 12000kg×2

運搬能力

 石炭運搬時 16 m/s
  →原炭運搬のみであれば1時間に128函(炭車・ズリ)可能

 人員運搬時 12m/s(25人乗車×4段=100人)
  →人員運搬のみであれば1時間で1600人の輸送が可能

 ケージ吊り上げワイヤーはGHH大型ワイヤロープを使用
 
メインロープ直径 77mm

メインロープ全長821.07m

メインロープ購入時全長 890m

テールロープ全長 699.290m

テールロープ直径 33mm

GHHセーフティーキャッチ装備


などである。




DSCF1006.jpg
伊加利立坑の坑底ヤードの簡易図面
(2000×1333ピクセルなのでクリック後の拡大が可能な・・・ハズ。)


構造は住友奔別立坑の坑底にも・・・似ていないか。(´・ω・)うん。

このノートは当時の三井炭鉱で立坑櫓の専門技師を務めていた方のノートである。

私の手元にはこのようなノートが数冊ほど手元にあり、

伊加利の他にも撫順炭鉱の龍鳳立坑について記されたものなど存在する。

(というか、資料だけでも部屋に山積みになっている)





伊加利立坑は日本初のH型立坑でありながら、

伊加利立坑としての使用期間はわずか8年程度にとどまり

実力を発揮することが無いまま港沖四山に移転され

四山坑の閉山後に解体されている。






さて、このような伊加利立坑ではあるが

のちに完成した奔別立坑とは大きく違う点が3つ存在する。


・単式H型立坑であること。

・単式設備立坑であること。

・一本索であること。


以上が奔別立坑と比べるべき大きな着目点である。






まず、単式立坑とは何のことか。

単式立坑というのは一つの櫓にヘッドシーブ及び巻上機のセットが

1つしか無いものを指し、H型立坑では単式と複式に大きく分かれる。

単式H型立坑の使用例としては

池島第1・三井伊加利・三井砂川中央・三井芦別総合などが例で、

複式H型立坑の使用例としては

住友奔別・住友赤平・三菱二子・雄別茂尻が

その典型的な例である。


DSCF5617.jpg
三井三池炭鉱 池島鉱業所第1立坑



DSCF5950.jpg
住友赤平立坑




つまりは立坑櫓にヘッドシーブ(滑車)が2つあるか4つあるかの違いである。

このヘッドシーブが2つか4つかで使用用途は大きく変わってくる。

立坑直径というのは大体5m~8m程度と決まっている。

その小さな断面に於いて

どれだけ多くの人員や石炭の運搬ができるかが大きな鍵となってくる。

その為に立坑の横幅も広めに使いたい場合は

単式立坑を使用することによって立坑の中には

2列しかスキップ及びケージは入らない。

しかし、複式H型となると4列組み入れられることになるのである。




 H型立坑では2つのヘッドシーブに2つの運搬設備と考えても良い
 
 ヘッドシーブが4つの場合は4つの運搬設備である。



スクリーンショット (318)
北炭真谷地立坑の断面図。

新H型はヘッドシーブが2つの為に内部の運搬設備も2つである




その為に複式立坑で4列の場合は細長い構造の運搬設備となるのは否めないことである。

またそういった場所を有効活用する為に生まれたのがスキップ設備である。






ケージのみ、スキップのみの運搬設備を持つ立坑を「単式設備立坑」という。
 
つまりは両方の運搬能力を持ち合わせたものを複式設備立坑と呼ぶ。

伊加利はケージ4段×2セットの「単式H型単式設備立坑」で、

奔別はケージ4段×2セット、スキップ2セットの「複式H型複式設備立坑」だった。


・・・ならば、複式立坑ならば複式設備。単式立坑なら単式設備。

そう思うのが妥当かも知れない。

しかしながら、前記で紹介した三井砂川と三井芦別の立坑は

単式H型複式設備立坑と呼ばれる機能を有していた。

恐らく、普通の方なら(´・ω・)???となるかも知れない。


単式H型複式設備立坑は

ケージの下にスキップ設備を備えた立坑だったのである。



スクリーンショット (311)
北炭真谷地立坑のスキップケージ(複式設備)



このように、ケージの下にスキップが装備された立坑というのも存在した。

スキップというのは主に石炭のみを運搬する箱のことを指すが、

設備が使用されたかどうかに関しては炭砿によって様々だった。

特にスキップ設備は坑底から坑口への運搬時に

石炭の粉砕が起こる為に石炭が硬くない場所での使用は避けられる傾向にあった。

また住友赤平立坑では地下で掘削した石炭の切羽(掘削区画)を

陥没が起こらぬように埋没させる為、坑口からズリを充填していた。

その為に赤平立坑は坑底から石炭やズリを運び出し、坑口(地上)からズリを入れていた。

ズリ運搬はスキップではできない為にスキップ案は廃止され

「複式H型単式設備立坑」になった。

このように各炭鉱それぞれにマイナーチェンジが加えられた立坑と言うのが

伊加利立坑のH型立坑完成を皮切りに生まれていった。

つまり全てのH型立坑の原点は伊加利なのである。




そして最後に一本索である。

一本索か二本索かについては前々回のブログ、奔別立坑の記事でも少し触れた通り

巻上機に装着されたメインロープの本数を示すものである。

一本索というのは立坑に1本しかロープが設置されていないが、

二本索は立坑に2本ロープが接地されている。


一本索と二本索の見分け方はとても簡単で、

ヘッドシーブの車輪が真横から見て1つか2つかの違いである。


茂尻立坑 ヘッドシーブ
茂尻立坑 ヘッドシーブ(茂尻炭砿史に掲載)

このように二本索だと、ヘッドシーブ1つに滑車が2つ搭載されている。

一本索と二本索ではロープにかかる強度が増すこと。

また、ロープの寿命を延ばすことが目的とされてきた。

のちに誕生するH型立坑のマイナーチェンジ型である「新H型立坑」には

二本索と言うものが用いられることは無かった。

そして新H型というのはGHH社が開発した

浅い深さの運搬を目的とした立坑ということもあって

本来ならば500m以上の深さで使用されることは考慮されていなかったとか。





スクリーンショット (312)
変態構造とも揶揄される新H型立坑のヘッドシーブボス


新H型がポンコツだったという話は有名なことで、

某立坑では過速及び過巻によって故障が頻発していたことから

立坑システムの改変により運搬能率の低下が行われていた。

それについては炭鉱マニア間でも有名な話だと思うので割愛させて頂く。



そんなこんなで負の立坑となった新H型についても触れてしまったが

以上のことが伊加利と奔別の大まかな違いである。

性能の違い等については

前々回の記事である奔別立坑の欄を参照して頂ければと思う。






ここから先の写真は、恐らく伊加利立坑に関する資料でも

外部に一度も出てこなかった写真だと思われる。





DSCF0992.jpg
伊加利立坑開鑿に使用された仮櫓(開放R型)と住友絶縁ケーブル


DSCF0995.jpg
絶縁ケーブルを立坑坑口から深部へと降ろす作業(昭和28年頃。以下全て同時期)


DSCF0998.jpg
命綱無しで絶縁ケーブルの樽上で作業する人。

この時には立坑は既に完成しており、落ちたら地下600メートルまで真っ逆さま。



DSCF1002.jpg
バントンの取り付け作業とロープガイド




伊加利立坑の竣工が1955年。今年でちょうど60年の節目に当たる。

幾星霜を経た今、よくぞこのような写真が出てきたものである。


元職員関係者の家族が遺物を整理・処分している際に

私がお伺いしたことで資料を頂く事ができたが

できることならば存命のうちにお会いしたかったものである。


もし、電話を入れるのが数日遅かったら。

もし、速記メモに残された電話番号に連絡することが無かったら。

そう考えると何か運命を感じるものがあった。


炭鉱遺産のタイムリミットは刻一刻と迫ってきているのかもしれない。







今週末は北炭真谷地炭鉱で

専属カメラマンを務めていたある方に取材してくる予定である。

北炭真谷地を語る上でこの方の存在は必要不可欠と言っても過言では無い。

そんなお方である。


一回の取材をしっかりと有意義なものにしてきたい。





・・・ちなみに、真谷地炭鉱労働組合の解散誌なら

石勝線の沼ノ沢駅付属のレストランにあったりする(どうでも良い)




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