日本の廃山

日本各地の炭鉱・鉱山について記したい

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貝島炭砿 東部大ノ浦開発 新管牟田坑  



今回は北海道では無く、九州の貝島炭砿をお伝えしたい。

貝島炭砿は明治7年に貝島太郎が福岡で炭鉱開発をおこなったことから始まっている。

その中でも異彩を放っていたのが新管牟田坑である


S30 新管牟田坑から見たボタ

昭和30年頃



S49 新管牟田坑

昭和49年頃



新管牟田坑 立坑と貨物ヤード

新管牟田坑

新管牟田坑②



福岡県の宮田町に存在した新管牟田坑は

2つの閉鎖R型立坑と開放R型の立坑を保有していた炭鉱であった。

元は貝島炭砿の三坑として存在したこの場所には三坑の他に東三坑など

他の坑道も存在していた。

また付近には五坑なども存在し、貝島炭砿としての坑道は至る場所に散らばっていた。

ここで、昭和28年に散らばっていた坑道をまとめて

合理化しようということで誕生したのが新管牟田坑である。



手元にある資料に記載されている案内に入ろうと思う。


DSCF8596.jpg

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DSCF8594.jpg


以上の通りである。



一部抜粋したい。



当社創設以来経営者代表者の変遷九代、数次の組織変更を経て今日70年に及んでいる。

その間操業の祖太助翁の経営理念「石炭報国と博愛」は

今も絶ゆることなく又内には共栄共存、上下和衷は郷土に報ず社風を醸成し、

幾多の時勢の変遷と棋界の苦境に遭遇しつつも

着実に社運の隆昌を見るに至っている。

即ち現在事業坑口は第二坑、新管牟田坑、第五坑、西五坑、第六坑の五ケ所であって、

品位その他に於いて他を圧し、瓦斬、鋼製、電気、鉄道、科学その他産業に

不動の販売地盤を築き、かつては近東方面に輸出して声明を博し、

日本の大ノ浦として国産炭の為万丈の気を吐いた。

昭和24年総工費18億を投じ、

大ノ浦東部の深部100万坪以上の未開発地区の開発に着手し、

炭砿技術の粋を集めて28年末完成茲に東洋に冠る新管牟田坑の発足を見、

社長指揮の下労使一体となり増産コストの低下等緊喫の課題たる

企業の合理化に向かって逞しい躍進を続けている。








その名の通りに新管牟田坑、もとい貝島炭砿は

目覚ましい躍進を遂げ、年間110万tもの出炭をしていた。

年間100万tと一言に話すが、

中小炭砿で年間100万tを築いた炭砿は羽幌炭砿しか私は聞いたことが無い。


それに対して貝島炭砿は新管牟田坑の操業以前より

100万tの出炭をしていたことからこの炭砿の規模が分かるだろう。



さて、設備の説明に移りたいと思う。

新管牟田坑の立坑設備は3つ。

中央竪坑、北竪坑、そして南竪坑の3つが同炭砿には存在した。





ここで、一度設計図を確認しておこう。





DSCF6288.jpg

これが新管牟田坑の開発設計図である。


竪坑は主に北竪坑と中央竪坑が一体化している構造となっているのが分かる。



DSCF6290.jpg

拡大図面


・・・お気づきだろうか?

実はこの新管牟田坑の竪坑は3本、横一列に並んでいるのだ。

閉鎖R型(外装コンクリート)の中央竪坑と北竪坑、

R型構造の南竪坑がそれぞれ並んでいる。



元々は三坑の運搬に用いられた南竪坑は

新管牟田坑の北・中央竪坑が完成する昔より存在していたが、

北・中央竪坑の完成後は機能を入れ替え、

五坑へと水平坑道で直結し入気竪坑として運用されていたのである。





DSCF8597.jpg

大ノ浦鉱業所の配置図






DSCF8599.jpg

竪坑と坑道骨格見取図




つまりは元々三坑の立坑として機能していたR型立坑が

五坑の立坑として北・中央竪坑の完成後に再スタートしているのである。


そして気づいた方も多いのではないだろうか?





DSCF8599 - コピー

南竪坑と北・中央竪坑の間にあるナニカ。


そう、新管牟田坑は未成竪坑だったのである。

東部大ノ浦開発において設置されるはずであった排気竪坑が

日の目を見ること無く閉山してしまった。












さて、遅くなってしまったが

ここで新管牟田坑の設備についても説明しようと思う。








DSCF6284.jpg

中央立坑の図面より







中央竪坑は自動運転方式を採用。

 円筒型複式単胴ヘッドシーブ横並び2軸

 R型外装コンクリート製グラウンドマシン。

 立坑直径6m

 深度430m(内17mはサンプ)、エレベーター登録深度は427m。
 
 ケージ2段ダブルデッキ2車積。

 人員とズリ、材料専用(定員25人×2)

 900kw ワードレオナード方式

 巻上速度9m/sec

 ゲージ重量は7510kg

 炭車重量960kg

 ロープ径50mm

 ロープ重量10.83kg/m

 ロープ全長570m

 一回の巻上所要時間は107.6sec




北竪坑も自動運転方式を採用。
 
 円筒型複式単胴ヘッドシーブ横並び2軸

 R型外装コンクリート製グラウンドマシン。

 立坑直径4.85m

 深度447m(既設263m/サンプ34m)、エレベーター登録深度は475m。
  ※既設に関しては工事中の為に完成した場所だけを示す

 スキップ構造。石炭巻上専用でベルト斜坑を坑口に装備

 1100kw ワードレオナード方式

 スキップ容量は5t

 巻上速度9m/sec
 
 スキップ重量は8150kg

 ロープ直径50mm

 ロープ重量10.83kg/m

 ロープ全長620m

 1回巻上所要時間は83.4sec




第4水平坑道
 
 坑道断面15.2㎡

 延長600m

 水平運搬坑道




第1水平坑道

 坑道断面15.2㎡

 延長2670m

 水平運搬坑道




東卸(東三坑深部)掘進

 断面10㎡

 延長1940m

 捲卸運搬坑道




南卸(三坑南深部)屈進

 断面10㎡

 延長1320㎡

 捲卸運搬坑道




第2水平坑道

 断面15.2㎡

 延長2160m

 水平運搬坑道





以上の通りである。

ドラムの運転には手動と自動の運転切り替えを可能としたシステムが導入され、

巻胴の大きさも北・中央で同一の規格、直径6m、幅3.2mが使用された。


新管牟田坑の深部開発に至ったきっかけであるが、

戦時中の無計画な坑道掘削により鉱区一掃を図ることが目的だった。

その他にも以下の事が挙げられる。

 坑口の集約
 
 通気の改善

 切羽の機械化

 運搬の合理化

 切羽への労働者の早期急行による出炭時間の増幅

以上の通りである。









新管牟田坑もとい大ノ浦炭砿は

1976年(昭和51年)までの90年と言う長きに渡り

石炭を産出する事ができたのも貝島炭砿を創設した貝島太助翁の

確立した他の炭砿に劣らない意気込みと坑内作業員を考える

こういった尽力があったからこそであり、

児童の学業にも力を入れ積極的に炭鉱労働者と一体化する

ヤマの姿勢があったからこそ今でも語り継がれる炭砿となったのだろう。

本来ならば、新管牟田坑跡も一度調査してみたいところであるが

残されているものは記念碑以外は何も無いということだった。

1960年代に最盛を誇った炭砿が跡地に何も無いというのは

残念なことだが、仕方の無いことなのかもしれない。


私は貝島太助翁の尽力と功績に敬意を表し、この記事を残したいと思う。





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