日本の廃山

日本各地の炭鉱・鉱山について記したい

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三井鉱山 田川鉱業所 伊加利立坑についての彼是  




伊加利立坑の名を炭鉱マニアの中では知らない者は居ないだろう。

この立坑は日本初のH型立坑という、

日本と言う国に於いてH型立坑と言うものが使用される

原点になった立坑櫓である。

伊加利立坑が稼働し始めたのは昭和30年12月11日のこと。

三井田川鉱業所の伊加利という場所に誕生した立坑は

すぐに稼働したものの、しっかりとした実力を発揮するに至らず

昭和39年3月に三井田川鉱業所が閉山するに至っている。


閉山後は解体され、スクラップとなる・・・はずだった。

しかしながら、解体は阻止され同三井炭鉱の港沖四山の立坑として

再始動することとなったのだ。


その周辺の事情に関しては馬場明子さんが執筆した著書である

「筑豊 伊加利立坑物語」という本に詳しく書かれているので

本文では省かせて頂く。

伊加利立坑物語という本は伊加利だけでなく

山野立坑などを建設した方へのインタビューなども含まれており

炭鉱マニア、特に立坑マニアであれば必読の一冊である。


さて。今回取り上げる伊加利立坑であるが、

写真や資料も少なく今現在インターネットに上がっている資料も

曖昧で何とも言えない状態のものが殆どである。

私は、北海道で立坑櫓の研究をしていることもあって

ごく稀にではあるものの、

九州の立坑櫓の資料が出に入ることがある。

その中に伊加利立坑についての彼是に記された資料や手記などを

手にすることがあった。

本文の伊加利立坑の性能は情報の齟齬を防ぐため

伊加利立坑について述べられている手記などの記述から情報を取り出すことにした。







伊加利立坑
インターネット上で見ることができた伊加利立坑の写真







さて、基本的な性能などについて記載することにする。


三井砿業伊加利立坑は人員・炭車・ズリ・入気が目的の運搬立坑である。

ボーリング着手 昭和22年8月

開鑿着手 昭和25年6月

竣工 昭和30年11月

開鑿より5年5ヶ月を要した。




立坑の性能について


一本索単式H型 鉄骨構造立坑櫓

鉄骨重量 約300t

全長 52m

ヘッドシーブ直径 7.5m

立坑深度 658.275m

サンプ深さ 36.108m

立坑全体深度(立坑坑口より) 694.383m

立坑直径 8.2m

立坑直径(コンクリート外縁仕上げ後) 7m

立坑ガイド 40mmロープ

運搬設備 4段ケージ×2

ケージ自重 12000kg×2

運搬能力

 石炭運搬時 16 m/s
  →原炭運搬のみであれば1時間に128函(炭車・ズリ)可能

 人員運搬時 12m/s(25人乗車×4段=100人)
  →人員運搬のみであれば1時間で1600人の輸送が可能

 ケージ吊り上げワイヤーはGHH大型ワイヤロープを使用
 
メインロープ直径 77mm

メインロープ全長821.07m

メインロープ購入時全長 890m

テールロープ全長 699.290m

テールロープ直径 33mm

GHHセーフティーキャッチ装備


などである。




DSCF1006.jpg
伊加利立坑の坑底ヤードの簡易図面
(2000×1333ピクセルなのでクリック後の拡大が可能な・・・ハズ。)


構造は住友奔別立坑の坑底にも・・・似ていないか。(´・ω・)うん。

このノートは当時の三井炭鉱で立坑櫓の専門技師を務めていた方のノートである。

私の手元にはこのようなノートが数冊ほど手元にあり、

伊加利の他にも撫順炭鉱の龍鳳立坑について記されたものなど存在する。

(というか、資料だけでも部屋に山積みになっている)





伊加利立坑は日本初のH型立坑でありながら、

伊加利立坑としての使用期間はわずか8年程度にとどまり

実力を発揮することが無いまま港沖四山に移転され

四山坑の閉山後に解体されている。






さて、このような伊加利立坑ではあるが

のちに完成した奔別立坑とは大きく違う点が3つ存在する。


・単式H型立坑であること。

・単式設備立坑であること。

・一本索であること。


以上が奔別立坑と比べるべき大きな着目点である。






まず、単式立坑とは何のことか。

単式立坑というのは一つの櫓にヘッドシーブ及び巻上機のセットが

1つしか無いものを指し、H型立坑では単式と複式に大きく分かれる。

単式H型立坑の使用例としては

池島第1・三井伊加利・三井砂川中央・三井芦別総合などが例で、

複式H型立坑の使用例としては

住友奔別・住友赤平・三菱二子・雄別茂尻が

その典型的な例である。


DSCF5617.jpg
三井三池炭鉱 池島鉱業所第1立坑



DSCF5950.jpg
住友赤平立坑




つまりは立坑櫓にヘッドシーブ(滑車)が2つあるか4つあるかの違いである。

このヘッドシーブが2つか4つかで使用用途は大きく変わってくる。

立坑直径というのは大体5m~8m程度と決まっている。

その小さな断面に於いて

どれだけ多くの人員や石炭の運搬ができるかが大きな鍵となってくる。

その為に立坑の横幅も広めに使いたい場合は

単式立坑を使用することによって立坑の中には

2列しかスキップ及びケージは入らない。

しかし、複式H型となると4列組み入れられることになるのである。




 H型立坑では2つのヘッドシーブに2つの運搬設備と考えても良い
 
 ヘッドシーブが4つの場合は4つの運搬設備である。



スクリーンショット (318)
北炭真谷地立坑の断面図。

新H型はヘッドシーブが2つの為に内部の運搬設備も2つである




その為に複式立坑で4列の場合は細長い構造の運搬設備となるのは否めないことである。

またそういった場所を有効活用する為に生まれたのがスキップ設備である。






ケージのみ、スキップのみの運搬設備を持つ立坑を「単式設備立坑」という。
 
つまりは両方の運搬能力を持ち合わせたものを複式設備立坑と呼ぶ。

伊加利はケージ4段×2セットの「単式H型単式設備立坑」で、

奔別はケージ4段×2セット、スキップ2セットの「複式H型複式設備立坑」だった。


・・・ならば、複式立坑ならば複式設備。単式立坑なら単式設備。

そう思うのが妥当かも知れない。

しかしながら、前記で紹介した三井砂川と三井芦別の立坑は

単式H型複式設備立坑と呼ばれる機能を有していた。

恐らく、普通の方なら(´・ω・)???となるかも知れない。


単式H型複式設備立坑は

ケージの下にスキップ設備を備えた立坑だったのである。



スクリーンショット (311)
北炭真谷地立坑のスキップケージ(複式設備)



このように、ケージの下にスキップが装備された立坑というのも存在した。

スキップというのは主に石炭のみを運搬する箱のことを指すが、

設備が使用されたかどうかに関しては炭砿によって様々だった。

特にスキップ設備は坑底から坑口への運搬時に

石炭の粉砕が起こる為に石炭が硬くない場所での使用は避けられる傾向にあった。

また住友赤平立坑では地下で掘削した石炭の切羽(掘削区画)を

陥没が起こらぬように埋没させる為、坑口からズリを充填していた。

その為に赤平立坑は坑底から石炭やズリを運び出し、坑口(地上)からズリを入れていた。

ズリ運搬はスキップではできない為にスキップ案は廃止され

「複式H型単式設備立坑」になった。

このように各炭鉱それぞれにマイナーチェンジが加えられた立坑と言うのが

伊加利立坑のH型立坑完成を皮切りに生まれていった。

つまり全てのH型立坑の原点は伊加利なのである。




そして最後に一本索である。

一本索か二本索かについては前々回のブログ、奔別立坑の記事でも少し触れた通り

巻上機に装着されたメインロープの本数を示すものである。

一本索というのは立坑に1本しかロープが設置されていないが、

二本索は立坑に2本ロープが接地されている。


一本索と二本索の見分け方はとても簡単で、

ヘッドシーブの車輪が真横から見て1つか2つかの違いである。


茂尻立坑 ヘッドシーブ
茂尻立坑 ヘッドシーブ(茂尻炭砿史に掲載)

このように二本索だと、ヘッドシーブ1つに滑車が2つ搭載されている。

一本索と二本索ではロープにかかる強度が増すこと。

また、ロープの寿命を延ばすことが目的とされてきた。

のちに誕生するH型立坑のマイナーチェンジ型である「新H型立坑」には

二本索と言うものが用いられることは無かった。

そして新H型というのはGHH社が開発した

浅い深さの運搬を目的とした立坑ということもあって

本来ならば500m以上の深さで使用されることは考慮されていなかったとか。





スクリーンショット (312)
変態構造とも揶揄される新H型立坑のヘッドシーブボス


新H型がポンコツだったという話は有名なことで、

某立坑では過速及び過巻によって故障が頻発していたことから

立坑システムの改変により運搬能率の低下が行われていた。

それについては炭鉱マニア間でも有名な話だと思うので割愛させて頂く。



そんなこんなで負の立坑となった新H型についても触れてしまったが

以上のことが伊加利と奔別の大まかな違いである。

性能の違い等については

前々回の記事である奔別立坑の欄を参照して頂ければと思う。




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住友赤平炭鉱 立坑櫓について  


今回は、先日訪れた赤平炭鉱について

写真を掲載したいと思います。



DSCF9023.jpg
赤平駅より


赤平炭鉱立坑櫓は1963年に誕生した

4段ケージ×4列のH型立坑で今も原型を留める

日本でも非常に珍しい保存方法が取られている立坑櫓である。






DSCF9131.jpg
今現在も入る事ができるヤード


赤平市のコミュニティガイドクラブTANtanさんによって

行われている立坑櫓開放は予約制。

Facebookなどに記載されている電話番号に連絡して

予約をとる方法になっている。









DSCF9106.jpg
ガイド槽


このガイド槽は住友奔別とは違い、ケージの取り出しが容易な構造である。












DSCF9114.jpg
坑口操作室


ここで炭車などを制御していた。

赤平炭鉱の立坑櫓がケージのみを採用しているのは

石炭掘削後の坑道にズリを充填する為であり、

スキップ設備ではその量が賄えないことから共にケージであった。








DSCF9070.jpg
赤平立坑のケーペルーム


背景の黒い壁はメインロープの停止位置の判別の為に

ロープに塗装がしてあり、それによって位置を合わせていたこともあって

黒い壁となっている。


スクリーンショット (288)
住友奔別立坑の富士電機論文より


このように、メインロープに塗装が施されていた。








また時間があれば、

赤平の観光を含め遊びに行きたいものですね(`・ω・´)




住友奔別炭鉱 立坑櫓について  




DSCF8664.jpg

奔別砿業所正門より




奔別砿業所の立坑は1960年にドイツGHH社による

技術提携を受け誕生した日本で2番目のH型立坑櫓である。

奔別砿業所は1971年まで深部開発を続け閉山したわけであるが

たった11年しか使用しなかったというのが勿体無い。


この奔別砿業所のようなタイプの立坑をH型と呼ぶが、

初めてのH型立坑は九州の三井田川砿業所に存在した伊加利立坑であった。

しかしながら、伊加利立坑は単式H型立坑であり

奔別砿業所のようにシーブが4つ並んだ状態では無く、

片一方に2つが偏ったものであった。(その分、シーブは大きくすることが可能だった)



伊加利立坑

伊加利立坑




日本に残るH型立坑は住友奔別、住友赤平、三井砂川中央(旧JAMIC)と

建物だけというのであれば茂尻も現存している。







ここで、住友石炭砿業 奔別砿業所の立坑櫓ついてのデータを確認しよう。


立坑櫓 複式H型立坑櫓

立坑櫓の高さ 50.520m

脚部ラーメン(骨格)部の大きさ 12.000×10.000m

ラーメン(骨格)部の高さ18.950m

シーブについて
 
 Lower rope sheve (立坑櫓にあるシーブの2段目に当たるもの)
  地上からシーブ高まで35.700m

 Upper rope sheve (立坑櫓の一段目に当たるシーブ)
  地上からシーブ高まで44.200m

シーブ直径5.500m×4

ガイドフレーム全長(地上部より) 35.700m

ガイドフレームの大きさ 5.685×3.520m

スキップ容量 10㎥ 両懸式

ケージ 4段 両懸式

ロープ 直径54mm 2索

立坑深度
 第1坑底630m
 第2坑底840m
 第3坑底1050m
 第4坑底1260m

立坑直径6.400m

富士電機ケーペ式規格 主電動機定格1540kW/6300V/585rpm

ケージについて

 定員 64人

 ズリ(4段デッキであるが重量制限で3車まで、メインロープ56mm交換で4車予定) 9000kg

 原炭規格(4車) 8000kg

立坑櫓に要した鋼重 450t

スキップ/ケージの運転荷量 73.500kg

ヘッドシーブ(直径5.500m)の重量 13.000kg×4

耐雪荷重 450kg/㎡

風速限界値(補償範囲)60m/h

巻上機形式 二本索ケーペ式/グランドマシーン

巻上速度 12m/s

計画出炭量 年間100万t(炭砿全体数値の為、立坑のみでは無い)



次世代計画による奔別立坑の改良では

メインロープの直径を54mmから56mmに変更。

スキップ容量の拡幅などが存在した。

(メインロープ56mm変更時の破断力は432.00kgである)




さて、この奔別砿業所のH型立坑には日本初のシステムが幾つか導入されている。

複式H型立坑櫓、二本索、ガイドローラーなどがその例である。

三井伊加利立坑は単式H型であったこと。

通常は一本だったロープを更に強化した二本索。

そしてスキップやケージを安全確実に運搬するガイドローラーの設置。

それらの進化などを考慮すれば住友奔別立坑は

日本の炭砿業界の夜明けを象徴する歴史的なモデルプラントであった。




・・・しかしながら、

この立坑に装備されたセーフティーキャッチャーという

ケージやスキップがロープ断線により落下した際に

落下を食い止めるシステムが

誤作動をよく起こし運搬をストップさせていたという話を耳にした


奔別立坑は巻上機を操作する技師のミス(過走)による

ケージやスキップ設備をシーブに直撃するのを防ぐ

バッファーガーダーという機能が搭載されており

それによるロープの断線、ケージやスキップの落下という

最悪の事態を避けるための非常用設備だった。


ちなみに、国会議事録では

どこの炭砿かは分からないが立坑のエレベーター技師が

勤務前にボーナスを支給され、勤務中に使用用途について考えていたところ

ケージを過走させてバッファーガーダーに衝突させたという記述が残されている。







さて、この奔別立坑であるが

巻上機は左右で会社が異なっている。

「奔別」と書かれた立坑櫓を正面にし、

向かって右側がブラウンボベリ。左側が富士電機という仕様である。

スキップ運搬がブラウンボベリ社の巻上機によって操作され、

ケージ運搬が富士電機社の巻上機によって操作されていた。



貝島炭砿 東部大ノ浦開発 新管牟田坑  



今回は北海道では無く、九州の貝島炭砿をお伝えしたい。

貝島炭砿は明治7年に貝島太郎が福岡で炭鉱開発をおこなったことから始まっている。

その中でも異彩を放っていたのが新管牟田坑である


S30 新管牟田坑から見たボタ

昭和30年頃



S49 新管牟田坑

昭和49年頃



新管牟田坑 立坑と貨物ヤード

新管牟田坑

新管牟田坑②



福岡県の宮田町に存在した新管牟田坑は

2つの閉鎖R型立坑と開放R型の立坑を保有していた炭鉱であった。

元は貝島炭砿の三坑として存在したこの場所には三坑の他に東三坑など

他の坑道も存在していた。

また付近には五坑なども存在し、貝島炭砿としての坑道は至る場所に散らばっていた。

ここで、昭和28年に散らばっていた坑道をまとめて

合理化しようということで誕生したのが新管牟田坑である。



手元にある資料に記載されている案内に入ろうと思う。


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以上の通りである。



一部抜粋したい。



当社創設以来経営者代表者の変遷九代、数次の組織変更を経て今日70年に及んでいる。

その間操業の祖太助翁の経営理念「石炭報国と博愛」は

今も絶ゆることなく又内には共栄共存、上下和衷は郷土に報ず社風を醸成し、

幾多の時勢の変遷と棋界の苦境に遭遇しつつも

着実に社運の隆昌を見るに至っている。

即ち現在事業坑口は第二坑、新管牟田坑、第五坑、西五坑、第六坑の五ケ所であって、

品位その他に於いて他を圧し、瓦斬、鋼製、電気、鉄道、科学その他産業に

不動の販売地盤を築き、かつては近東方面に輸出して声明を博し、

日本の大ノ浦として国産炭の為万丈の気を吐いた。

昭和24年総工費18億を投じ、

大ノ浦東部の深部100万坪以上の未開発地区の開発に着手し、

炭砿技術の粋を集めて28年末完成茲に東洋に冠る新管牟田坑の発足を見、

社長指揮の下労使一体となり増産コストの低下等緊喫の課題たる

企業の合理化に向かって逞しい躍進を続けている。








その名の通りに新管牟田坑、もとい貝島炭砿は

目覚ましい躍進を遂げ、年間110万tもの出炭をしていた。

年間100万tと一言に話すが、

中小炭砿で年間100万tを築いた炭砿は羽幌炭砿しか私は聞いたことが無い。


それに対して貝島炭砿は新管牟田坑の操業以前より

100万tの出炭をしていたことからこの炭砿の規模が分かるだろう。



さて、設備の説明に移りたいと思う。

新管牟田坑の立坑設備は3つ。

中央竪坑、北竪坑、そして南竪坑の3つが同炭砿には存在した。





ここで、一度設計図を確認しておこう。





DSCF6288.jpg

これが新管牟田坑の開発設計図である。


竪坑は主に北竪坑と中央竪坑が一体化している構造となっているのが分かる。



DSCF6290.jpg

拡大図面


・・・お気づきだろうか?

実はこの新管牟田坑の竪坑は3本、横一列に並んでいるのだ。

閉鎖R型(外装コンクリート)の中央竪坑と北竪坑、

R型構造の南竪坑がそれぞれ並んでいる。



元々は三坑の運搬に用いられた南竪坑は

新管牟田坑の北・中央竪坑が完成する昔より存在していたが、

北・中央竪坑の完成後は機能を入れ替え、

五坑へと水平坑道で直結し入気竪坑として運用されていたのである。





DSCF8597.jpg

大ノ浦鉱業所の配置図






DSCF8599.jpg

竪坑と坑道骨格見取図




つまりは元々三坑の立坑として機能していたR型立坑が

五坑の立坑として北・中央竪坑の完成後に再スタートしているのである。


そして気づいた方も多いのではないだろうか?





DSCF8599 - コピー

南竪坑と北・中央竪坑の間にあるナニカ。


そう、新管牟田坑は未成竪坑だったのである。

東部大ノ浦開発において設置されるはずであった排気竪坑が

日の目を見ること無く閉山してしまった。












さて、遅くなってしまったが

ここで新管牟田坑の設備についても説明しようと思う。








DSCF6284.jpg

中央立坑の図面より







中央竪坑は自動運転方式を採用。

 円筒型複式単胴ヘッドシーブ横並び2軸

 R型外装コンクリート製グラウンドマシン。

 立坑直径6m

 深度430m(内17mはサンプ)、エレベーター登録深度は427m。
 
 ケージ2段ダブルデッキ2車積。

 人員とズリ、材料専用(定員25人×2)

 900kw ワードレオナード方式

 巻上速度9m/sec

 ゲージ重量は7510kg

 炭車重量960kg

 ロープ径50mm

 ロープ重量10.83kg/m

 ロープ全長570m

 一回の巻上所要時間は107.6sec




北竪坑も自動運転方式を採用。
 
 円筒型複式単胴ヘッドシーブ横並び2軸

 R型外装コンクリート製グラウンドマシン。

 立坑直径4.85m

 深度447m(既設263m/サンプ34m)、エレベーター登録深度は475m。
  ※既設に関しては工事中の為に完成した場所だけを示す

 スキップ構造。石炭巻上専用でベルト斜坑を坑口に装備

 1100kw ワードレオナード方式

 スキップ容量は5t

 巻上速度9m/sec
 
 スキップ重量は8150kg

 ロープ直径50mm

 ロープ重量10.83kg/m

 ロープ全長620m

 1回巻上所要時間は83.4sec




第4水平坑道
 
 坑道断面15.2㎡

 延長600m

 水平運搬坑道




第1水平坑道

 坑道断面15.2㎡

 延長2670m

 水平運搬坑道




東卸(東三坑深部)掘進

 断面10㎡

 延長1940m

 捲卸運搬坑道




南卸(三坑南深部)屈進

 断面10㎡

 延長1320㎡

 捲卸運搬坑道




第2水平坑道

 断面15.2㎡

 延長2160m

 水平運搬坑道





以上の通りである。

ドラムの運転には手動と自動の運転切り替えを可能としたシステムが導入され、

巻胴の大きさも北・中央で同一の規格、直径6m、幅3.2mが使用された。


新管牟田坑の深部開発に至ったきっかけであるが、

戦時中の無計画な坑道掘削により鉱区一掃を図ることが目的だった。

その他にも以下の事が挙げられる。

 坑口の集約
 
 通気の改善

 切羽の機械化

 運搬の合理化

 切羽への労働者の早期急行による出炭時間の増幅

以上の通りである。









新管牟田坑もとい大ノ浦炭砿は

1976年(昭和51年)までの90年と言う長きに渡り

石炭を産出する事ができたのも貝島炭砿を創設した貝島太助翁の

確立した他の炭砿に劣らない意気込みと坑内作業員を考える

こういった尽力があったからこそであり、

児童の学業にも力を入れ積極的に炭鉱労働者と一体化する

ヤマの姿勢があったからこそ今でも語り継がれる炭砿となったのだろう。

本来ならば、新管牟田坑跡も一度調査してみたいところであるが

残されているものは記念碑以外は何も無いということだった。

1960年代に最盛を誇った炭砿が跡地に何も無いというのは

残念なことだが、仕方の無いことなのかもしれない。


私は貝島太助翁の尽力と功績に敬意を表し、この記事を残したいと思う。





夕張新炭鉱 跡地  



夕張新炭鉱。

新鉱とも呼ばれ、期待の新生とも言われたエネルギー転換期に

スクラップアンドビルド政策で躍進炭鉱の一つとして新たに開発された

夕張の北部炭砿だった。


夕張新炭鉱は1975年に誕生し、

立坑櫓も新しく造られ構内設備も全て新設ということから

当時の炭鉱業界の中では一番良い設備だったと言っても過言では無いだろう。

この立坑櫓は三池製作所のZ型(新R型)立坑が採用され

立坑断面直径7m。

ヘッドシーブ直径5m×2

運行距離893m

全深度917m

ケージ2段デッキ(1デッキ30人乗り×2段)
 人員平均1200人(1日)
 人員最大1265人(1日)
 (平均体重65kg換算)

実働時間 6時間(1日)

ケーペ巻き揚げ式のサイリスタレオナード方式

という立坑であった。

当時の立坑でサイリスタレオナード方式が採用されたのは

夕張新炭鉱と九州の

三井三池炭鉱の有明二鉱と池島二鉱である。

特に当時はワードレオナード方式が一般的であったことから

立坑櫓自体の性能の良さに北炭の威信が垣間見える。




さて、このようにして最新鋭の設備が導入されて完成した

北炭夕張新炭鉱であったが長くは続かなかった。


1981年10月16日の総員93名が亡くなったガス突出事故を機に

新炭鉱は出炭を減らし、翌年には閉山。

少数精鋭として躍進しようとしていたビルド鉱も

各地で相次ぐ事故によって疲弊し、

いよいよその実力の日の目を見ること無く閉山に至っている。






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2枚共にネットで発見した夕張新炭鉱の建物現存時の写真。




今、この夕張新炭鉱は解体され空地となっていると聞いて

現地に向かうことにした。





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夕張市清陵町のコープ裏手に残る新鉱のスローガン


この奥にある通洞で山の反対側に抜けたいところではあったが、

閉鎖されていた為に林道経由で行くことになった。

林道は真新しい鍵が付けられ

破るのは到底不可能だったためにそこからは熊との遭遇を覚悟し

慎重に進むことにした。









DSCF7514.jpg

夕張新炭鉱と書かれた通洞の反対側



一時間以上かかっただろうか。不気味な静けさが悪寒を誘う。











DSCF7520.jpg

夕張新炭鉱跡地









DSCF7527.jpg

基礎だけ残されたもの。










DSCF7547.jpg

何も分からない。









DSCF7619.jpg

第一扇風機風洞斜坑と立坑が密閉されていた。

奥のコンクリートがZ型(新R型)立坑の真下に当たる。











ここで気がついたことがあった。









DSCF7625.jpg

何かが埋まっている。




DSCF7555.jpg

DSCF7601.jpg

後から知ったことなのだが、

どうやらこの場所に存在した建物の一部は

地面に埋められ再び土で埋め戻されているらしい。

瓦礫の隙間からライトを当てて中を見たが、靴や当時のものと思しきヘルメットなど

色々なものが散見できた。








少し、場所を移動する。













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警告と書かれた看板









DSCF7709.jpg

当時のライト置き場だろうか?









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火薬類取扱い教習室










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火薬使用表










DSCF7717.jpg

ここは夕張新炭鉱の火薬類取扱所。 唯一表札が残る場所である。

この場所は明かす事ができないが、

閉山から30年以上も経過した今でも看板はしっかりと残されている。

そう、不気味な程に美しく。


妙な視線と悪寒感じた私はすぐさま撮影して外に出て退散した。

私が表札の上から伸びる腕のような影を確認したのは家に帰ってからだった。


ここは私のような調査員でも軽く来てはいけない場所なのかもしれない。

表札が盗まれるなどと言うことは起きないとは思うが、

この場所に来ること自体が、罰当たりだったのかもしれない。






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