日本の廃山

日本各地の炭鉱・鉱山について記したい

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

住友石炭鉱業 上歌排気竪坑の最期 (上歌志内排気竪坑櫓)   


ある日の夕刻。私の元に調査仲間のはっしー氏から速報が入った。



「上歌排気が解体されているぞ!!!」






DSCF9899.jpg


歌志内市に存在する上歌排気竪坑(かみうたはいきたてこう)という、元上歌志内炭鉱で使用された第一坑竪坑の竪坑櫓が解体に着手されているという一報を貰った。私は半信半疑で「それは無いだろwww」と思っては居たものの、同地区でtwitterをやっている方からも間違いなく解体が始まっているという一報と写真まで添えられてきた。正直なところ「は?マジかよ・・・?」と一言くらいは言いたかった所だが、あの竪坑櫓の価値がどれほどのものであるかを理解する私としては絶句する他なく。自らの無力さが感じさせられ、焦燥感に駆られる動悸を抑え込むのに必死であった。会社に居ても上の空な事が多く、また家では只管に上歌排気竪坑の論文を読み漁っていた。こんなことをしても既に意味が無いと分かっていながらも、最期の姿を見る前に彼の歴史を確認しておきたかったのだろう。

解体の速報が入って数日後、私は会社の公休日がたまたま当たったので撮影機材を抱え歌志内市へと向かった。家を出たのは確か真夜中だったと思う。


上歌排気竪坑の歴史を確認しておきたい。まず上歌排気竪坑が存在した上歌志内炭礦は北海道庁によって測量が行われたのが明治19年の事。その一年後に坂 市太郎(ばん いちたろう)氏によって再度測量が行われ明治28年に石狩石炭鉱業株式会社が発足し、企業着手に移るも石炭採掘量が乏しかった為に鉱区権を坂氏に返却。坂氏は大正元年に上歌志内炭礦開発事業として斜坑と竪坑の開発に着手する。第一竪坑の完成は大正3年、第二竪坑の完成は大正9年の事。その後は坂炭礦株式会社(大正6年9月)、住友炭礦株式会社(大正14年6月)、住友炭礦株式会社 上歌志内坑(昭和5年4月)、住友鉱業株式会社 炭業所歌志内礦業部(昭和12年6月)、住友鉱業株式会社 歌志内礦業所上歌志内礦(昭和16年8月)、住友鉱業株式会社 赤平礦業所歌志内礦(昭和17年 8月)、井華鉱業株式会社(昭和21年1月)、住友石炭鉱業株式会社(昭和27年7月1日)と砿業所名が改称され、赤平鉱と上歌志内鉱が合併したのが昭和28年1月の事であった。ちなみに、上歌排気竪坑が赤平一坑として統合されたのが昭和30年7月である。

竪坑だけの情報で見ていこう。

上歌志内竪坑、つまりは上歌排気竪坑は鉄骨開放R型櫓であるが。この竪坑が完成したのが大正3年と言われているものの、当初としては木製のテントR型を採用していたとも言われている。さて、この木造櫓と鉄骨櫓がいつ頃に交換されたのか、はたまた当初から鉄骨櫓だったのかは各資料によってバラバラであり。これと言った決定的な資料が挙がっていないのが事実である。しかし、大正14年頃に竪坑の形状を四角から円形へと改築工事を施していることから、この際に木造R型櫓を工事櫓(仮櫓)として処分して鉄骨櫓に切り替えたのではないかと思われる。以下、変遷である。

大正3年 第一竪坑完成(蒸気巻)
 竪坑 四角形竪坑断面(4.86m×2.70m)
 深度 海抜154m~海抜34m(深度120m)

大正14年4月 竪坑断面改築
 竪坑 四角形断面→円形断面(内径4.40m)
 築壁 煉瓦2枚半(厚さ60cm)

昭和4年 竪坑追加開鑿(ついかかいさく、追鑿【ついさく】とも言う)
 竪坑 海抜34m~海面下94m(断面に変更無し)
 深度 253m(運搬深度248m+サンプ5m)
※サンプとは竪坑穴に追加して掘られるゆとり空間である。

昭和24年9月 巻上機交換、電気巻へ
 竪坑断面 変化なし
 巻上機 四国製作所製 複胴式巻上機
 運搬設備 2段デッキ18人乗り(各段9人)

昭和32年 竪坑追鑿
 竪坑断面 変化なし(各階梯に於いてブロック構造変更あり)
 竪坑 海面下94m~海面下568m追鑿 
 深度 720m
 連接部(坑口より)
  -354m(海抜より-200m)
  -504m(海抜より-350m)
  -629m(海抜より-475m)
  -704m(海抜より-550m)



以上の通りである。
この竪坑は国内に存在する竪坑櫓の中でも珍しく、幾度となく追鑿された竪坑なのである。一言で追鑿と言っても楽なものでは無く、時には竪坑を停止させて機械を交換したり。坑底から更に別の経路を掘って竪坑を造ったりと方法は様々である。上歌排気竪坑はその多くを駆使して竪坑延命を図った竪坑櫓であり、中でも竪坑の断面を変更していることも大きな特徴と言えるだろう。国内の櫓を探した際に、ここまでゲテモノな変遷を有する竪坑はそう存在しないと言っても過言では無い。
もう一つ、この櫓には大きな特徴がある。





DSCF9881.jpg
上歌排気竪坑櫓


DSCF8899.jpg
三菱美唄 上風坑櫓


そう、謎の円柱が櫓の中に備わっているのである。これは赤平鉱の深部化の際に地下の排気が間に合わなくなるという事で、既存の入気竪坑としていた上歌竪坑を排気竪坑に改造した際に吸引力の低下を防ぐ為に造られたものである。改造は1987年と、赤平鉱が閉山する7年前の事であった。
今回はそんな追鑿の歴史と竪坑としての延命を続けた、日本でも類を見ない櫓の最期を見届ける。




私が現地に到着したのは朝8時頃。途中、あまりの眠気に耐え切れず赤平駅前で寝ていた。

DSCF4671.jpg
歌志内市より眺める三井砂川炭鉱のズリ山



この周辺は炭産地であり、上歌志内炭礦の他にも北炭空知や同鉱神威、三井砂川などが点在していた。中でも三井砂川中央立坑は未だにJAMICとして櫓が残り、北炭空知竪坑も現存している。




DSCF4678.jpg

現場に到着した私は声を失った。
何しろ、自分が大学生の頃からよく眺めていた竪坑櫓であり。その変遷と歴史を理解しているからこそ、何とも言えない気持ちになる。自分の無力さにただただ、佇むことしかできなかった。


DSCF4678.jpg

DSCF4696.jpg

DSCF4699.jpg

これらはヘッドシーブボス、つまり滑車の軸に当たる部分である。触って確かめたが、閉山して久しいと言うのにまだ稼働できるくらいには動かすことが出来た。



R型

解体方法は以上の通り、横倒しである。




DSCF4681.jpg

DSCF4711.jpg

ボスと引き離されたヘッドシーブ




DSCF4721.jpg

動き始めた重機



DSCF4754.jpg

持ち上げられるヘッドシーブ



DSCF4770.jpg

DSCF4809.jpg

メインロープ交換用シーブが埋もれる



DSCF4851.jpg

重機の爪が吟味するように眺めている


DSCF4818.jpg

積み込まれるバックステー


DSCF4905.jpg

放置されたガイド櫓の一部。監督者に聞いたところ保存では無く、全てスクラップ屋で鉄屑にするとの事で上歌排気竪坑櫓は一切の痕跡を残す事は無いとのこと。



DSCF4927.jpg


DSCF4716.jpg




搬出は2016.6.21から2日かけて行われた。
これにより北海道内に存在する炭鉱用立坑櫓がまた一つ消え、現存する櫓は三菱美唄の下風坑と上風坑、住友奔別中央立坑、住友赤平第一立坑、北炭幾春別錦竪坑、三井砂川中央立坑、北炭幌内立坑、北炭空知竪坑、羽幌本坑運搬立坑、三菱美唄第三立坑(埋没中)となった。北海道の櫓は時折、数を減らし現在の数で落ち着いたが何とも言えないものである・・・。
これから先、遺産認定されていない立坑櫓が解体の道を歩むのか保存の道を歩むのかは不透明であるが、ここに嘗て北海道を代表する炭鉱が残っていたということを証明する為にも保存してほしいと思う限りである。













スポンサーサイト

▲Page top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。